喫茶店
私たちがすごしているこの瞬間は、漠然と永遠に続くように感じると同時に、ある一瞬をもって変わってしまうような儚さの上に成り立っていることを、これもまた漠然と私たちは理解しているのかもしれない。
退屈な学校が終わったあとに寄る喫茶店。変わらない面子、誰が何を注文するかも分かるくらいには通っている。理沙は甘いものとオレンジジュースを頼むが、今日はお金がないので甘いものは我慢するだろう。小春はコーヒーのブラックを注文する。本人はこれが大人の味でかっこいいと信じているし、本当は甘いほうが好きということを、私たちに知られてないと思っている。いつもと同じ日常。ただ少しだけ違うのは、今が昼過ぎで、始業式を終えて晴れて2年生になったということくらいだろうか。
私たちの会話に挙がるの話題はいつも大体同じものだ。流行りのドラマ、流行りの曲、流行りの動画。流行っているから私たちが好んでいるのか、私たちが好むようなものが流行るのか、その境界線は最近分からなくなってきた。そして、流行の話よりもずっと盛り上がるのは学校の話だ。友達から顔もよく知らない生徒まで、色恋沙汰から家庭環境の話まで言いたい放題だ。特に理紗は顔が広く、この手の話の種には事欠かない。しばらくして皆話したいことをひと通り話し終わったら、各々スマホを触り始める。なにか興味を惹かれるものを見つけたら、ぽつぽつと共有して、少し話をしてをくり返す。そんな時間がただすぎていく。
他愛もない瞬間の積み重ねは、喫茶店に入った時はまだ高かった日を傾かせる。いつもと同じ日常。変わらない日常。そのはずなのに、少しだけ違和感がある。小春の様子が今日はずっと少しだけおかしい。その違和感に理紗も気づいて、その違和感に気づかれていることにきっと小春も気づいている。だけど私は踏み込めない。変化が怖いのだ。「なにかあったの?」と理紗が聞く。変化が怖い私は、理紗の発言を疎ましく思うと同時に、友人を想って空気を切り裂くことができる理紗を羨ましく思う。そして、そんな自分をうしろめたいし、また少し嫌いにもなる。
小春はしばらく躊躇ったあと、理紗の圧力に負けて話しづらそうにしながらも語り始めた。私はなにも知らなかった。小春が夢を見つけたことを。それに向けて努力を始めていることを。そして、そのために今日のような私たちとの時間を減らしたいと思っていることを。私は腹が立った。そんな叶うかも分からないような夢に費やす時間のほうが私たちとの時間より大切だと思っていることに。今までの小さな幸せの日々まで無下にされているようで悲しくもあった。
様々な感情が渦巻く私をよそに、理紗は言う。「やってみなよ。応援する」。私は他人事だから言える無責任な発言だと思うと同時に、また自分のことが嫌いになっていく。私もなにか言わなければと言葉を捻り出す。「急に無理しなくても徐々にでいいんじゃないの」。この言葉が正解ではないと分かっていても、私は変化が怖いのだ。煮え切らない私を真っ直ぐに見て小春は言う。「でも後悔はしたくないから」。その言葉には、私たちとの日々が楽しかったからこそ、言い訳にしたくないという意味が込められているように感じた。
私は泣いてしまった。二人とも突然のことに慌てている。私たちの、私の、今の幸せの形は変わってしまうのだという現実に涙が止まらなくなってしまった。よく失って初めて大切さに気づくなどと言うが、そんなに大事なことはもっと何度も言い聞かせてほしい。こんな状況で、夢を追いかけている友人の応援もできずに、自分のことばかりで泣いている私はなにをやっているのだろうか。この先きっと違う幸せの形は続いているのだろうが、私の、私たちの“この愛しい日常”はもう手に入らないものになるのだと思うと涙が止まりそうになかった。
年を取って少しずつ成長していくように、または年老いていくように、日常は、幸せの形は、分からないくらいわずかずつ変化していき、二度と戻ることはない。また、連続的に、緩やかに続いていくと思っていたことも、なにかを境に急激に変化してしまうかもしれない。私は今泣いているこの瞬間も大切にしなければいけないと思って嗚咽混じりに「ありがとう」と言った。二人は驚いた様子で顔を見合わせたあとで、不意をつかれたように少し笑った。そこにたしかに幸せを私は感じた。