エッセイ散文

今から創作を始める僕たちのAIへの向き合い方とモチベーションの話

まえがき

この記事は3分で読めますが、時間をかけて読んでくれると嬉しいです。ChatGPTが書いてはいませんが、Claudeが誤字脱字チェックをしました。

全体的に自分の考えをまとめて自分を納得させる意味合いが強い。

悩みながら書いていたら話がとんでもなく冗長になったので本旨から逸れる部分は(※)をつけて注釈にしました。読まなくて良い部分です。

AIについて

巷ではAIが目まぐるしい進化を見せている。
「AIが毎日あくせく働いてくれるから僕たちは毎日遊んで暮らせる。やったぜ」
とまで都合良くはいかず、ユートピアを実現してくれるのはまだまだ先になりそうだ。

それでも驚異的な成長を遂げているAIは各業界で「失業するかもしれない」という不安を視界にちらつかせる存在になっている。特に安泰の代名詞的な存在だったホワイトカラーを筆頭に、というのは世の中読めないものだ(先見の明がある人は違ったのだろうが)。

数年前には「おもろいイラスト描けるじゃん~」とか「人間みたいな反応するすげ~」くらいの存在だったAIだが、いつの間にか自分たちの存在を揺るがすような強大なものになっていた。文章から始まり、今ではイラスト、音楽、動画まで、プロンプトを唱えれば ぱっと見ハイクオリティなものができてしまう。それにとどまらず、それらを組み合わせたマルチメディアコンテンツも作れるようになってきている。もちろん、まだまだ実務に足るといえるものを作るのは難しいし、AIでハイクオリティなものを作るのにはテクニックが必要になってくる。”今は”

しかし、たまにAI論争で見られる「AIのこの実力では仕事になんてならないので脅威ではない」という論説は現時点では正しいが、未来においてはきっと正しくない。ここ数年の進化のスピードを考えれば、その未来もおそらく遠い未来ではなく、近い未来。そのころには今よりもずっと技術は進んでいて、現在よりハイクオリティなものが、テクニックも必要なく簡単に生成できてしまうだろう。

それでもクリエイターという存在自体は消えないと思っている。ただし”上澄みの人だけ”が残るだろうと。それ以外の人は、職を失うか、AIを使用することを始めとした現在とは違う働き方を強いられることになるのではないだろうか。

かくいう僕もAIは使っている。自分のHP制作はほぼAI頼りだし、PC実用ツールをよく即席で作ってもらっている。学習する際に知識や意見が欲しいときはAIに聞いたりもしているし、読書後の考えの整理の壁打ちにもAIを使っている。ただ、直接の創作物を生成して、それをメインの活動にするのは非常に抵抗がある。SNSでの風当たりが強く見えることや、著作権の問題を完全にクリアできていないことも理由の一部では、もちろんある。だけど自分の中で割り切れない感情があるというのが とても大きい。ずっと憧れていた”創作活動”はこんなものではないのではないはずだと。

そうは思っているがモチベーションに影響があるかどうかは別の話で、非常に面白くない。特に今から創作を始める人間である僕たちはどうしたらいいのだろうか? SNSの普及で常に神絵師のイラストに浸かっている僕たちは、ただでさえモチベーションの維持が難しい。そんななか、初心者が精一杯 頑張って描いた絵は、何の努力もしていない人間が3秒で打ち込んだプロンプトによって生成された絵に惨敗する。

「最初はみんな下手でしょ」と言われるだろう。しかし、自分の作った料理がクソ不味いなか、練習し続けてもレンチンの冷食より美味しくなる保証がないうえに、コスパも冷食のほうが良いと言われたら? 果たして料理を練習しようとなるのだろうか。しかも自分が料理を練習している間も、冷食のクオリティは未知数の速度で上がっていく。これが何年も続いていく。

「AIなんかが描いたものより、初心者でもこっちの手で描いたやつのほうが全然いいよ!」とか、AI憎さからくるバイアスのかかった評価に意味はないと僕は思う。とはいえ、その意図がなんであれ、初心者の僕たちをほめてくれる存在であるのは事実なので、ありがたいとしておこう。ここで問題なのは「消費者の多くは作品がAIで作られているかどうかは気にしない」ということ。映画のCGに例えると「このシーン、CGじゃなくて実際に撮影したんだって~」と言われて「へーすごいな」以上の感情を抱く人は少ないと思うし「あの映画はCGじゃないから観に行く!」という人はほぼいないと思う。AIも同じだと思っている。実際に撮影したり、手で描いたりすることは付加価値ではあるけど、結局のところ面白ければ何でもいいのが大多数の消費者だと僕は考えている。「そんなはずがない!私の周りのみんなはAIを使った作品が嫌いな人ばかりだ!」という人、気を付けてください。多分それはエコーチェンバーです。

ここまでのAIについての個人的な所見は下記の通り。
・AIは上澄み以外の人間を駆逐し得るほどのポテンシャルがある
・AIの登場によって初心者のモチベーション維持はより難しくなった
・消費者の多くはAI産だろうが手作りだろうが気にしない

AI時代の向き合い方

一度主題から少し逸れるが、創作をしたい人間をタイプ分けする。実情は人の数だけタイプがあるだろうし、僕の想像のおよぶ限りでしか分類できないが、自分が思うタイプ別に方向性を考えたいと思う(※)。

※ ここで、今現在 創作を仕事として収入を得られている方は今回の話には該当しない。収入を得られるだけの実力が既にある人はきっと僕たちよりも柔軟に動けるはず。ただ、モチベーションに関しては自分が「これしかない」と思っていた大事なものを、突然現れた中身の分からない謎の機械を使役する素人が奪おうとしているのだから、人によっては大きく影響を受けているのではないかと思う。

  1. 創作行為自体が好きでたまらない人
  2. 好きというよりは創作が得意で自分が稼げると思うからやる人
  3. 創作の成果物が好きで創作をしたい人
  4. 目的のために創作をしたい人
  5. 承認欲求を満たすために創作をしたい人

はい。タイプ分けといったものの、実際は創作にあたっての動機の種類と言ったほうが近い。それぞれの補足を付け足したのが下記。

  1. 創作行為自体が好きでたまらない人
    とにかく創るという過程、イラストであれば描いている瞬間、音楽であれば曲を作っている時間や楽器演奏自体が楽しくて仕方がないという人。
  2. 好きというよりは創作が得意で自分が稼げると思うからやる人
    少ないと思うが一応。エンタメの感性が鋭く「これやれば稼げるのでは?」みたいな人。
  3. 創作の成果物が好きで創作をしたい人
    タイプ1と違って過程ではなく結果が好きなタイプ。「誰よりも自分好みの作品を創りたい」とか「あの作家さんみたいな素敵な作品が創りたい」という人。
  4. 目的のために創作をしたい人
    「自分の経験を共有して誰かの助けになりたい」とか「内なる感情を作品に乗せて発信したい」など特定の目的がある人。
  5. 承認欲求を満たすために創作をしたい人
    ちやほやされるために創作をしたい人。これに関しては先述どのタイプの人でもある程度は当てはまることだと思う。

ここからは僕が思うタイプ別のAI時代の創作との向き合い方。

  1. 創作行為自体が好きでたまらない人
    素晴らしいです。続けてください。好きこそ物の上手なれです。きっと上手になります。仮に上手にならなくても、楽しい時間を過ごせたなら それは人生においてプラスでしかありません。投げやりな書き方になっているけれど、このタイプの人が自分は本当に羨ましいし、プロでやるにも趣味でやるにも一番強いと思っている。
  2. 好きというよりは創作が得意で自分が稼げると思うからやる人
    マネタイズをメインに考えるなら正面突破で創作をするのはコスパもタイパもあまりにも悪い。このタイプの人は既にAIに移行しているのではないかと思う。効率よく作ってお金が稼げるほうに流れるのが妥当。
  3. 創作の成果物が好きで創作をしたい人
    タイプ分けをしたものの「誰よりも自分好みの作品を創りたい」と「あの作家さんみたいな素敵な作品が創りたい」では向き合い方は変わってくると思う。前者であればAIを使ってしまえば良いと思っている。誰よりも自分好みのものを実現するために必要であれば取り入れればいいのではないかと。誰に見せるわけでもない。後者に関しては公開する場合は現行法でもかなりマズイ。著作権の話にはそこまで詳しくないけど依拠性の立証になり得る。
  4. 目的のために創作をしたい人
    これは目的次第だと思う。AIの使用によってより効率的に自分の目的が達成できるのであれば使えばいいと思う。ただ、留意しないといけないのは、一部とはいえAIの印象は良くないということ。例えば「○○というキャラクターの素晴らしさを伝えるために作品が創りたい」という場合は、AIの使用は避けたほうが良いように思う。
  5. 承認欲求を満たすために創作をしたい人
    本当にこれだけが目的ならAIを使えば良いと思う。ただ、SNSでは風当たりはまだまだ強いので上手くやらないと承認欲求を満たす前にストレスが溜まりそう。承認欲求モンスターが良いとこ取りをしようとして、AI作品を手書きと称して燃えているのを定期的に見かける。AI使用の是非に関わらず詐称は良くない。

書いてみて自分が思っていた以上に僕は「AIを使えばいいのでは?」スタンスであることが判明した。それでも自分はAIの使用に現状非常に抵抗がある理由を考えた。考えてみれば意外と単純なことだった。

ーーーーかっこよくない!!!

これに尽きる。僕が憧れているクリエイターの皆々様はかっこよかった。きらきらしていた。よく「現実はそんなにきらきらしていない」ということを皆さん言われているが、そういう次元の話ではない。現実がいくら泥くさかろうが、素人の僕たちから見たクリエイターが作品を生み出す様子は本当にかっこよかったのだ。対してAI生成にかっこよさは今のところ感じられない。「AIすげー!」とは思うが、その過程は別にかっこよくはない(※)。AI作品自体で良いと思うものは結構あるけどね。

※ 僕は自分のことを作品至上主義だと思っていた。実際にそれはそうで、犯罪者が創った音楽でも評価されるべきだと思っているし、AIが創った作品だから内容に関わらずクソだとは1ミリも思わない。だが、こうして自分が表現する側に立ちたいと思ったときに、こうも作品が出来上がる過程に執着があるとは思っていなかった。自分の中で自己矛盾を一つ見つけてしまってモヤモヤが止まらない。とはいいつつも演奏家のアナリーゼに作曲者の置かれた背景などが含まれるように、作品と創作者は切っても切り離せないものだということも理解しているつもりではある。

ところで、僕はどんなタイプかというと「創作行為自体はさほど好きではないが、創作の成果物がとても好きで、承認欲求を満たしたい人間。あ、目的も一応あります」という具合。さっきのそれぞれのタイプの悪いところを集めた感じです。創作を始める前からこんなモンスター思考の自分の才能が恐ろしい。

僕は「今のところゴミと見間違えるようなものしか創れないけど、憧れだけでなんとかプロになろうとしている、言い換えれば夢に目を輝かせているだけのよくある人」でもあります。

といっても一般的なそういう人々は さっき話したタイプ1の「創作行為自体が好きでたまらない人」が多いと思っているので、僕の場合に当てはめて少し修正すると「今のところゴミと見間違えるようなものしか創れないけど、憧れだけでなんとかプロになろうとしている、言い換えれば夢に目を輝かせている、けどもAIの登場でモチベーション失くしちゃってる」ようなアンビバレンスカスです。

そんな舐めた人間いるのか? います。僕です。

イラスト、音楽、小説などなどの創作物は大好きで、自分も創れるようになりたいとずっと思っている、思っていたけど、いざ始める前にAIが出てきて非常に動揺している人間です。

先述の冷食の話、割と的を射ていると思っている。もちろん過程は楽しいんですよ。料理を作るのは楽しい。だけどそれは「美味しい料理が食べられる」という前提がウェイトが結構な割合を占めていると思っていて、別に料理をしなくても同じか それ以上のものが簡単に食べられるとなったら、はたして料理をする人はいるのか?という疑問。もちろん奇特な人は一定数いるのは分かっている。でもそれはきっとマジョリティではない。高級フレンチや一流の寿司を作るのにはとてつもなく手間がかかる。冷食で同等のものが簡単に作れるのに、フランスに修行に行くのか、すし屋に弟子入りするのかという話。

長々と言い訳をした結果、僕が今出している結論を述べます。

僕はフランスに修行に行くし、すし屋に弟子入りすることにします。

ーー冷食が台頭する今、時代最後の寿司職人ーー

そんな存在を目指します。なんかかっこいいじゃないですか。

ただ、忘れてはいけないのは「創りたいものが僕らにはある」ということ。いつか かっこよくない選択肢を取ってでも、表現したいものがあるということ。結局は創りたいモノが創れるようになる。表現できるようになる。これが絶対目標であり、それを見失ってはいけない。現在の僕にとっての その創りたいモノの定義に「AIを使わないこと」が含まれているのでAIは使わない。それだけ。しかし、今後長い目で見ていくと、AIと無縁で創作活動をしていくことは難しいだろうとは思っている。

僕はそう結論を出しました。僕と同じく、賛同してくれるアンビバレンスカスな人がいれば、肩組んで歩いて行きましょう。そうじゃない人もいるでしょう。「AIをバンバン使って創りたいものを創るんだ!」という道も、そもそも創作が楽しいと思えなくなって別の道を歩く選択肢もある。僕もそういった道をいつか歩くことになるかもしれない。なんにせよ道は違っても同じ時代を生きている同胞なので仲良くしましょう。

モチベーションの話

ここまで長々と書いたことは創作への向き合い方の話でモチベーションの話ではない。いやモチベーションの話はしたけど「AIの登場でダダ下がったよね」とネガっただけだ。そうではなく、これから創作を始める僕たちがどうモチベーションを保ちながら続けていくかという話。

そういったものの僕自身が創作を長く続けている人間ではなく、今から始めようという人間なので、これは始める前の心持ちの話になる。それでも ぶっちゃけ難しい。本当に難しい。ずっと考えても明確な答えはでないし、クオリティの高いAI作品を目にすると「今手元でこねこねしているゴミは一体…?」という感情で頭がおかしくなりそうになる。「AIをバンバン使って自分の表現したいものを作るのが正解なんじゃない?」と思う自分も常にいる。

そもそも論、モチベーションの維持って難しいよね。これは創作分野に限った話ではない。あらゆる事柄について言える。これは いかに「自分で自分を鼓舞できる状態に持っていくか」にかかっているのではないかと僕は思う。あまりこれを掘り下げると今回の本旨と関係ない実用書にありがちな内容になってしまうが、切っても切れない部分があるので一応触れている。僕の考えているモチベーションを維持する方法は下記。

  1. とりあえずやる
  2. 過程を楽しむ
  3. 自分の目標を明確にする
  4. 環境を大切にする

少ないけど こんなところだと思う。それぞれ詳しく書いていく。

  1. とりあえずやる
    これはありとあらゆる場所で言われていることで、多分みんな聞いたことはあるんじゃないかと思う。本当に大事なので一番最初に書いた。作業興奮などとも しばしば呼ばれていて「やる気が出てから始める」のではなく「始めたからやる気が出る」といったニュアンス。

    例えば、イラストであれば「何を描こう」とスマホを漠然と眺めながら考えるのではなく、何も考えずにまずスケッチブックを開いて線の練習でも始めてみる。音楽ならまず楽器を触ってみる。デジタルならまずソフトを起動して新しくプロジェクトを開始するか、編集中のものを開いて すぐになんでもいいので触る。これは本当に大事だし、事実として効く。なかなか創作活動自体が始められない人は深く考える前に簡単なことで良いから、まず手を動かすことを意識してほしい。

    とりあえずやることは中長期的なモチベーションの話ではないが、まず単発の作業が始まらなければモチベーションも何も創作活動自体が始まらないので入れた。
  2. 過程を楽しむ
    まず言いたいのは、創作は楽しいです。はい。「創作行為自体はさほど好きではない」とか前述の料理の例え話でも散々文句を言いましたが、創作は楽しいです。手のひらくるくる。プログラミング(※1)では僕は一番下流の過程を楽しむことは今後もうないと思っているので、創作の線を引く楽しさやノーツを打ち込む楽しさは大事にしたいと思っている。

    あとは「自分才能あるのでは?」という感覚(※2)を周りと比べてしまって握り潰さずに、ちゃんとニヤニヤして満喫すること。何かできなかったことができるようになる、上達するということには必ず快感が伴うので、周りとあまり比較せず、過去の自分と比較して自分の成長を感じられるようにしていればニヤニヤできる場面はきっとある。自分が時間をかけて真剣に取り組んで作った作品にはきっと愛着が湧きます。

    楽しむというのは自然に楽しいということもあるけど、意識的に楽しむ姿勢が結構大事だと思っている。
  3. 自分の目標を明確にする
    いくら過程がある程度楽しめたとしても、目標が無ければ過程が楽しめなくなったときに詰んでしまうと考えている。だから自分がどんなものを創れるようになりたいのかをできるだけ明確に思い描いて、それをどこかにメモしておくのが良い。そして、その目標に到達するまでの中間目標を細分化して決めておく。このとき細分化は細かければ細かいほど良いと思っている。これは最終目標までの道のりを分かりやすくできることと、小さい目標を達成する達成感を都度味わえることに意義がある。「イラストで5いいねをもらうこと」とかそんなものからでいい。
  4. 環境を大切にする
    ここでいう環境は人間関係的な意味合いが強い。人間なかなか ひとりでは何かを続けるのは難しい。そこで環境である。同じような目的を持ったコミュニティを探し、属して交流ができる環境に身を置く。これをすることで同じ悩みを共有できたり「あの人も頑張っているから自分も頑張ろう」と思えたりと切磋琢磨することができる。これはきっと知名度を上げたり、フォロワーを増やしたりする面でも有用なので絶対にやったほうがいい。といいつつも僕はこと創作においては、あまり他者とのコミュニケーションをうまく取れる自信がないので、活発に交流するつもりはないのだけれど……

※1 僕はコードを書くのが好きだった。アルゴリズムを考えて、それを文法に則って記述していく。今はそんな作業はなくなった。レビューやテスト(完成品のチェックみたいなもの)という個人的にはあまり楽しくない部分だけが残った。もちろん完成品ができる速度はAIが早いし、全体を完成に持っていく過程は今も楽しくはあるが「コードを手作業で作成する」楽しさは完全に失われたなと思う。好きだったから趣味で一行ずつ書くかと言われると書かない。

※2 ダニング=クルーガー効果。あまり良くない意味で使われがちだけど、これを大事にしたい。自分を過大評価できる瞬間はかなり楽しめている瞬間だと考えている。

僕はあらゆる分野において、その分野1つ1つに果てしない長さの道が続いてることを多少なりとも知っていると自負しています。それでも、霞むような遠く先に信じられないほど高い山がそびえ立っているのが見えていたとしても、目の前のひっくいバカの山の登山は楽しいです。先が長いことを知っていても「あれ?自分もしかして才能ある?」と思える瞬間、それを大事にしたい。

僕は創作の日が浅すぎてまだプラトーには当たっていないので、そこに当たったら「今から創作を始める僕たちのAIへの向き合い方とモチベーションの話Part2」を書くかもしれない。そのころにはまた創作を取り巻くAI事情は大きく変わっていそうだが。

ここまでモチベーションの話をした。したのだが、実用書的な内容でAIに関することが出せなかった。出さなかったのではなく出せなかった。だってAIすごいんだもの。単純比較したらモチベーション無くなるって。神絵師のイラストを見て「自分はなんてダメなんだ」と思うようなセンチな僕らには厳しいものがある。それでも神絵師には「今まで費やしてきたであろう莫大な時間」「その作品自体にかけている莫大な手間」を考えれば、そのクオリティの高さは納得できる。だけどAIは違う。そんな積み上げはない。対AIに使えるモチベーションはもう「AI時代にAIを使わずに創作ができるようになる凄さを見せつけてやるんだ」と意気込むことくらいしかないんじゃないかと思ってしまう。そのため、先述したような一般的なモチベーション維持のやり方で頑張るしかない。

自分が創りたいものが、どれだけ陳腐でも自分にしか創れないと信じて手を動かすしかない(※)。あとは僕の場合はその足跡自体を作品にしようと考えている。

※ 僕が作りたいのは大衆向けの平均化された「良い」に近いものに属する。これはAIがたぶん真っ先に駆逐してしまう範囲だろう。それがどうにも悲しい。いわゆるマスピ顔を僕は良いと思っていたし、同時期に出てきた細部はよく分からないけど幻想的な背景イラストも僕は好きだ。

まとめ

結論、主題の「創作を始める僕たちのAIへの向き合い方とモチベーションの話」で自分の言いたいことをまとめると次のようになる。

・目的に合致しているのであればAIを上手く使ったほうが良い
・AI凄いけど個人的にかっこよくないと思っているので現状使いません
・創りたいものがある僕らにとって今後もAIを完全拒否し続けることは難しい
・モチベーションはAI見ないようにしながら頑張ろうね

まとめてしまうと かなり中身のない話になっていることが分かる。だけども、これが現状創作を始めたいと真剣に考えている ひとりの人間が考えに考えて頑張って出した結論だ。もしこれを誰かが読んでくれたなら、各々の考えている向き合い方やモチベーションの話を考えてくれると嬉しい。直接教えてくれるともっと嬉しい。

さいごに

人間の歴史で大体のことは先人がすでに経験していて本などに記されているわけですが、ことAIについてはSFの妄想でしかなかった。それがびっくりするほどに普通に実現した。人間のように巧みに喋るし絵は描くし音楽を奏でる。こんな驚異的存在が誕生した瞬間に同席している我々。これから先の時代にわくわくしますね。

いつかこの文章を読んでくれたあなたは、AIに対してどのような感情を抱いているのか、それとも特になんとも思っていないのか。また、クリエイターなのか、そうではないのだろうか。なんにせよ、世界という存在はAIを包括してこれからも勝手に進んでいく。そんな世界を無理やりにでも楽しみながら自分の才能の欠片を見つけて小躍りしつつ一緒に生きていきましょう。

(書き直しを繰り返した結果、本文に途中まで書いていたけど最終的に書かなかった残骸)
AIの席巻で、創作コンテンツの需給の形態が変わっていくのではないかと個人的には考えている。現行の「ある個人が不特定多数に提供していた」ものが「個人が自分に対してAIでパーソナライズして自給する」ように変わっていくのではないかと。具体的には、今は「ある作家が小説を書いて、それを好む大衆が本を買って楽しんでいる」という形態をとっている。これが、「自分用にパーソナライズしたAI作家が自分だけのために自分好みの小説を書いてくれる」ようになるわけだ。作家に限らず、音楽家もイラストレーターも同様だろう。そんな世の中になれば、旧態依然で活動していたクリエイターは消えてしまうと思う。

本文でも触れたが、こだわりのあるユーザ、特にクリエイターには違いが判るだろうが、悪い言い方をすれば素人には違いはどうでもいいことが多い。それよりは多少雑でも大量の作品を持ってきてもらってその中で良さそうなものを選ぶほうがきっと好まれる。

正直こんな状況になるとは思ってもいなかった。(きっと適切な表現ではないが気持ち的に)”ずる”ができなかった時代に、純粋に努力を積み上げるしかなかった時代に ちゃんと向き合っていればよかった。もっと早くに始めていればと思うばかりだが、後悔先に立たずなので今できることをやるしかない。

僕の場合は出遅れ組なので、今とても若い人はもっとチャンスがあると思う。それと同時に、方向転換するのもぶっちゃけ手ではあると考えている。人生の選択肢は自分次第で思ったよりも広く取れたのだろうなと過去を振り返れば思う。「自分が本当にやりたいこと」を自問自答して考える時間は本当に大切。学生も自分の生きている時間になんとなく流されて、あるいは忙殺されて、しっかり内省をする時間は意識しないと意外と取れないと思っている。たぶん生きてきて何かの本か、あるいは先生かメディアか、どこかしらで「人生は一度しかないから後悔しないように生きろ」と言われているはず。あれ実は非常に難しいです。「そんなの当たり前じゃん」とそのときは思うけれど、それなりに歩いたあとに歩いてきた道を振り返ったら違う感想になってくる。それと覚えていて欲しいのは人は簡単に死ぬ。明日は絶対生きていると漠然とした自信を抱えたまま生きるのはあまり良くないと思う。明日には消えるかもしれない。それはあなたかもしれないし、あなたの身近な人かもしれない。メメントモリの精神は大事。とはいえ考えすぎも良くないので中庸も大事。