あなたの話は長いですか、短いですか?
僕は話が長い短い以前に自分の話をあまりしない傾向がある。
よほどタイムリーな話題や、相手との関連性が高い話題以外は基本的に「これ話しても相手は興味ないだろうな」と思って、話すのをやめてしまう。
よくない癖ではあるのだが、相手中心に話してもらったほうが自分も話しやすいし、過去の経験から そのほうが会話が上手くいったように思う。
ただ、せっかくこうやって1億総発信時代になったのだから、自分も思ったこと・感じたことをどんどん発信していきたい所存。文章を書く練習になるしね。
さて本題は 「長い話はよく聞いていないとなんだか正しく感じる」 ことについて。
物事には あえてクドく、長く表現しなければいけない場面はある。
それは婉曲表現しないとマズイ場合や、分かりやすく伝える必要がある場合、内容をしっかり覚えてもらう必要がある場合などになる。
僕らが人間関係を構築していくなかで「そろそろ帰ってね~」と直接言えることは少なく、それとなく伝えていかなければならない。
小さい子への説明はクドくても いろいろな種類の例えで話してあげたほうが分かりやすい。
プレゼンで重要なことは1回言っただけでは まず忘れられるので何度も言うべきだろう。
こういったものは必要な冗長性だと思う。
しかし、世間にはただの 「簡潔にまとめることのできる自己の不平不満」 をもっともらしい口ぶりで、長く長く冗長に語ることで、さも自分が正しいことを言っているような態度をとる人物が見受けられる。
全体を通して見ればまったく論理が破綻していたとしても、長く長く冗長に語ることによって「そのセンテンスだけを切り取って見るならば正しい」という部分を複数散りばめることができる。
その効用で「なんだか正しそうだ」という印象を聞き手に植え付ける。
「これがこうで私は気に入らない」で済む話をひたすら饒舌に語られることで、客観的事実とは異なった印象を持たされることに注意したい。
例えば下記のような具合である。
りんごって赤いよね?
本当にあの赤が目について不快でさぁ
しかも青いやつってなに?
梨じゃん
あと甘いじゃん?
甘いの嫌いな人もいるじゃんね
硬いのに噛んだら柔らかくなるのも嫌だし
丸いのもね?
転がって落ちちゃうかもしれないじゃん
皮剥くのも面倒だし
漢字で書くと難しい字なのも意味わかんなくない?
料理にも入ったりするけど合わないと思うんだよね
種類いっぱいあるみたいだけど気にしなくない?
そもそも果物って必要?
お菓子でよくない?
「だからりんごって嫌いなんだよね~」
あなたは8割くらいの確率でりんごが好き、またはどうとも思っていない人なので「何言ってんだ?」となると思う(僕はりんご好き)。
だけど、これが自分の知らない事柄だったら話がちょっと違ってくる。
・よく知らない有名人のうわさ話
・炎上しているインフルエンサーの話
・SNSで対立論争をしている人の話
などだったらどうだろうか。
もちろん、よく聞いていたら誤った情報には綻びがある場合が多いのだが、斜め読みしていたら「へーそうなんだ」となってしまう可能性があると思う。
要するに一見正しそうな部分ばかりをピックアップした偏向報道の類になる。
メディアの情報なら最近でこそ内容の偏向性に注意する人も多いだろうが、これをSNS投稿のくだけた文章で、個人の意見主張として行われていた場合にはどうだろうか。
140文字に収まっていれば「なに言ってんだこいつ」となるような内容でも、必要以上に長く、そこだけ見れば正しいような部分を散りばめて、伸ばしに伸ばした文章だと是非の判断が鈍るように思う。
そして、書いていて徐々に思ったが僕が書いたこの話自体、かなり論理が破綻している。りんごの例えは、例えとして機能していないし、冗長に話されたからといってそれが正しいと思うだろうか?
つまり、まさにここまで僕が書いてきた文章が
「一言で済む極めて個人的な主張をそれらしく話す人間が気に入らない」
という一言で済む文章であり 「簡潔にまとめることのできる自己の不平不満」 だといえる。
ただエンタメ性で見るのなら、一言で終わらせられることを長々と話せるのは長所だともいえるよね。